おはこんばんちは~!
コミュニティエフエムFMまつもとパーソナリティ「すなほんま」です!
79.1MHZ、もしくはアプリ「FMプラプラ」で、
毎週水曜日夕方5時からお送りしている「夕暮れ城下町水曜日」のワンコーナー、
「た・び・の・は・な・し」
のコーナーでお話している内容を、
補足しながらつぶやいていきます~!
18のときからバックパッカーで世界を巡るのが趣味で、何回かに分けてですが、アジアとヨーロッパを中心に40ヵ国ほど世界を巡りました。5,6年ほど前、妻と新婚旅行でバックパッカーで世界一周をした話を先週までお話してきましたが、せっかく夏休みなので、世界一周タビの話はいったん中断して、今回の旅では行かなかったけど、わたし個人では旅したことがある、これからでも間に合う近場の国々の話をしていきたいと思います!
先週、ネパールのポカラの話をしたので、ついでにネパールの話をします。
今回は、「え!?ダッカで一泊??おい、行けるのか?カトマンズ!ネパールに着くまでの長~い道のり」という話です。
ネパールには、10代のころの一番最初の世界一周の途中で立ち寄りました。
タイのバンコクにしばらく沈没していたんですが、そろそろ、つぎにどこに行こうか思案しているなかで、ネパールに行くことにしました。
まだLCCなんてものがなく、ネパールに行くには、だいたいそのころのロイヤルネパール航空か、インド系の航空会社しかなかったのですが、ビーマン・バングラディッシュ航空というバングラディッシュの国営航空会社が最安値だったので、ダッカ経由カトマンズ行きのチケットを、バンコクのカオサンロードの旅行代理店で買いました。
ヤングさんだったから、無鉄砲な勢いがありましたね、今ならビーマンは選んでいないと思います。
バンコクに、まだスワンナプームが無かったころなので、ドンムアン国際空港からの出発でした。
大きなバックパックを背負っていたのですが、そのころは航空会社もまだ牧歌的だったのか、それほど手荷物の大きさのことをしつこく言われませんでした。
ビーマン・バングラディッシュ航空だけかもしれませんが、バックパックがデカすぎて座席の上の棚に入らなくて困っていたら、キャビンクルーに、そこに置いとけって言われ、隣の座席にシートベルトさせて座らせておくくらい牧歌的でした。
補償問題になってしまうので、機内事故に細心の注意を払う今では、考えられません。
飛行機が離陸し、ほどなくして悪天候で乱気流に巻き込まれ、飛行機が何メートルも乱高下する状態になり、わたしのリュックが、ぴょーんって飛んで天井にぶつかってまた、隣の座席に戻ってきた情景は今でも忘れられません。
エアポケットに入ったのか、ジェットコースターみたいなフライトで、肝を冷やした瞬間、飛行機が着陸態勢に入り、森の中に着陸したので、あまりに危険な航行で、近くの空港に一時避難したのかと思ったら、どうやらそこはミャンマーの首都のヤンゴンで、最初からヤンゴン経由のダッカ行きの便だったようです。
その頃のわたしは、ごちゃごちゃと恐らく余計なことも書いてある英語表記の航空券を読むのが苦手で、ボーディングチケット、搭乗券ならシンプルで分かるんですが。
あと、カオサンの代理店のおっちゃんも、わざわざ「ヤンゴン経由だよ~」なんて教えてくれないので、10代のころの旅ではいろんなことを学びました。
ほどなくしてヤンゴンを離陸した飛行機は、無事、夜のバングラディッシュ・ダッカ、ハズラット・シャージャラール国際空港に到着し、そのときに初めて、ダッカで1泊して次の日の朝に、ネパールのカトマンズに向かうということを知ったのです。(もちろん航空券に書いてあったんだと思いますが)
わたしより上の世代の人は分かるかもしれませんが、ダッカのハズラット・シャージャラール国際空港といえば、日本赤軍による日航機ハイジャック事件の舞台となった空港です。まぁ、今のヤングさんは知らないですよね。
わたしだって、そのときは知らなかったので、大人になってから気づきました。
普通、トランジットのホテルなんて用意されてないので、空港内で野宿するか、空港内か隣にあるホテルに自力で泊まるものですが、いまは分かりませんが、そのころのビーマンバングラディッシュの航空券は、トランジットのホテルまでちゃんと用意してくれてあったのです!
飛行機のタラップを降りると、目の前にまるで囚人護送車みたいなワンボックスが停まっていて、そこから直接、市内にあるホテルに護送されました。
途中、ダッカの名所旧跡であろう場所に立ち寄ってくれるんですが、いかんせん全部ベンガル語で、ちょっと何言ってるかわかんない状態だったのと、ダッカの夜は真っ暗で、何も見えない状態でした。ただ、お月様がめちゃめちゃデカくて輝いていたのを印象的に覚えています。
空港から、けっこうな時間ゆられて、やっとホテルに到着しました。ビーマンバングラディッシュの用意したトランジットホテルなんて、全然期待してなかったんですが、それがけっこういいホテルで、長らくタイにいて実費で泊まったホテルよりよかったくらいです。
これは分かる人は分かってくれると思いますが、シャワーからちゃんとお湯も出ました。
東南アジアや南アジアの人たちにとっては、こんなに気候が暖かいのに、なんで日本人がそれでも熱いシャワーを浴びたいかが理解できないそうです。
あと、ちゃんと、夕飯と朝食のビュッフェもついてました。ただ朝晩メニューが全部一緒で、全部カレーでしたけど。
そのとき、黄身が白い卵を初めて食べました。どうも、えさの違いで黄身が白くなるんだそうです。
次の日の朝、再び囚人護送車で、ハズラット・シャージャラール国際空港まで再び護送され、無事、ネパールのカトマンズまで向かうことができましたとさ。
すみません、お時間がきてしまいました。来週こそは、ネパール・カトマンズでの話をします!
来週もまたお耳をハイシャクハイシャク!
すなほんまでした!
FMまつもと 79.1MHz 【夕暮れ城下町】水曜日17時~
松本平以外のかた、松本在住でもラジオをお持ちでない方は↓↓↓
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